親はいつだって我が子を心配するもの。
子供の年齢が進むにつれて違った悩みが出てくるし、子供が大人になっても心配は尽きることがない、というのが親心でしょう。
ただ、過度に心配するあまり、様々なことに制限をかけたり干渉過多になって親子関係そのものに悪影響を及ぼすことも少なくありません。
善も強いれば悪になる。
子供には子供なりの価値観と人生があることを忘れないようにしたものです。
気学妄信は吉なのか?
あるお客様からこんな体験談を伺いました。
その方のお母様は、ご自身が苦しんだ時に気学に救われたご経験から気学を妄信するようになり、それ以降はご家族の行動すべてを気学判断によって決めているとのこと。
例えば、
・子供用自転車を購入するのに●●方位で買わなければならない
・学校のスキー教室は凶方だから行ってはならない
・外地から帰国する際、直接日本に帰国すると凶方だから〇▲を経由してから帰ってこなければならない… など、ありとあらゆる行動に対してお母様から指示が入るそう。
しかも驚いたことに、お母様に反発したこともあったそうですが、極力母の言う通りに今まで行動してきたと仰るので私は更に驚きを隠せませんでした。その方は人生の中盤ですから、よくそこまで指示を守ってこられたな…と。親心を理解されたとても出来たお子さんなのか、反抗すればより面倒なことになりかねないので既に諦めていらっしゃるのか…。

過去に親御さんが気学で救われたり成功体験をしていたりすると、当然ご家族にも災難を除けて幸せになってほしい一心で気学を強要する場合があります。
ただ、こればかりは注意が必要です。
強要によって家族間が不穏になったり、子供の心が遠く離れてしまったのでは何のための気学だかわかりません。
当会は、ご自身とご家族が穏やかに暮らしていただくためのサポートとして気学開運をお勧めしているわけで、気学によってご家族が不幸になるくらいならやらない方が良い!と強く感じます。
世間には、このお母様のように全ての事柄に吉凶を当てはめて判断する人も多いものですが、愛するご家族だからこそより慎重にお伝えするほうが無難です。
そして、全てにおいて吉凶判断が最善という考え方は少し危険です。
自分事はそれで良いのですが、自分以外の相手に対しては臨機応変、相手の状況や心理を踏まえた上で考える思いやりが必要です。場合によっては、自分の考えを譲歩させるほうが円満に事が流れ、将来の開運チャンスを残しておくほうが賢明かもしれません。
自分にとっては善。でも相手は悪と感じることもある。
その相手が我が子の場合、時に不満や心の傷を子が感じていても、ほとんどの親はそれに気が付いていませんので、より深刻な結果となりやすいのです。
子の自我を摘む罪
反対にこんなケースもあります。
お子様が気学に関心があっても親はそうではなく、開運を阻まれてしまうパターンです。
お子様が社会人以上であれば、本来は親に何か言われても自由に転居できるはずですが、そこはご本人やご家庭の事情があってのことなのでしょう。
親御さんの了解を得られなかったりして、思うように開運法が実施できないというもの。

恐らく、親御さんにはそれなりの反対する理由があってのことだと思います。
しかし、気学に限らず、我が子が真剣に悩み決意したことであれば、ある程度は認めてあげたいな…と、様々な事例から私はそう思います。
これは子供の年齢にもよりますが、成人していれば社会的には大人ですし、子供自身にそれなりの決意があるなら信じて見守ってやるほうが子のためになります。
そうすると、「子供が失敗したらどうするんだ!だから親が子を保護しなくては!」と反論する意見もありましょうが、寧ろ、若いうちに失敗したほうが人生的なプラスの意味合いがあると思いますし、小さな頃から保護し過ぎることで子の自主性が薄れたり、自ら問題を乗り越える力が涵養されずに大人になってしまう現実が、昨今問題になっているのではないでしょうか。
人生中盤以降に大きな失敗をすれば、それこそ立ち直る気力すら湧かず、その惰性で人生後半まで進み、親は我が子の心配をしながらあの世へ旅立たなければなりません。
なんとも心苦しい最期になりかねない原因が、私たち親側にもあることを自覚する必要があります。

そんな先のこと…と思われるかもしれませんが、運は原因から結果するまでに長いタイムラグを要し、我が子にしたことが我が子から還ってくるという運の因果がよく見られます。
子供のために強制したり制限をかけたとしても、その行いが子を苦しめ、結果として親の安心安定のために子供を従わせているように見受けることも少なくありません。
あくまでも、親は子の成長を願い、その成長を後押しする役目があります。
逆に、親が子の成長を阻んだり制限して、人生的な足を引っ張る行いは外道です。
しかし、そこに気が付かないのもまた親でして、子を心配するあまり自らの処世にはフィルターがかかって見えてしまうのかもしれません。
本日もご覧いただきまして有難うございました。
