出会いを決めるのは何か?

気がつけば桜も緑に変わり、この頃は初夏の陽気ですね。
季節の進みがとても早く感じるこの頃です。

さて、新入学や新入社の方々は新たな環境での生活がスタートしましたが如何お過ごしでしょうか?
まだまだ緊張が続くころです。新環境に早く馴染んで頑張っていただきたいと思います。

また、進級されてクラス替えをしたり、部署が変わられた方なども新たな顔ぶれの中で新生活が始まりました。そこで気になるのが新たな出会いです。

出会いといっても異性の出会いばかりではありません。
同姓の友達や同僚から先輩に後輩、上司や先生なども出会いの一部です。
どのような人々とその環境で出会うか、それによってその場が居心地良くなったり、その逆にもなる。
学業にも仕事にも大いに影響してくるのが人的環境です。

そういった中でいつの時代も期待されるのが恋愛においての出会いでしょう。
新たな環境で素敵なパートナーと出会いたい!と思うのはとても自然な感情ですよね!

が、しかし。
この出会いに関しても、気学的な吉凶や自運が影響してきます。

また吉凶かぁ…。と思われたかもしれませんが仕方ありません。
何せ、この世の中は全てのモノやコト、出会いもが大自然の法則(気学)によって成り立っているのですから。
そんなわけで、自分に合った環境でなら良い人との出会いが期待できるし、その中には自分が望むような縁も生まれる可能性が高い、というわけですね。

凶方位でも出会いはある

先に言っておきますと、自分とは合わない凶方の環境下であったとしても様々な出会いは当然あります。打ち解け合える友人ができたり、恋いに発展するような異性との出会いだってもちろんあるでしょう。

でも、それが一生モノの出会いか?と聞かれたら答えはNoです。

なぜかと言うと、非常に仲良くなれた友人であっても凶方の環境ではその場限りの縁になりやすく、卒業や転職をしたりすると自然と連絡も途絶えて縁遠くなってしまうことはよくあります。
また、素敵な人だと思ってお付き合いを始めたけれど実際の中身は違ったとか、価値観が全く合わないことがわかった、酷い場合はとんでもない人物に当たってしまった!と災難めいた出会いもあり、こちらも縁が続かないケースが多いですね。

凶方の環境下で出会うと、一見すると良さそうな出会いに感じられても、いざ蓋を取ってみたらそうではなかった!というミスマッチが起こりやすいのです。

しかも言葉が悪くて恐縮ですが、ババ(問題の人)を引いてしまったのが直ぐに判明したらお幸せで、何年も経ってからとか、後戻りができなくなってからそれが判った!なんてことはよくあります。
恋愛の場合は特に盲目になりやすいため、ババかもしれないと感づいても即そこで止まれない難しさがまさにミソ。
そのようなケースを見聞きするたびに、大自然はそうやって我々人間に人生の修業をさせるために出会わせているのだな、とつくづく感心させられます。

全ては環境

本当に縁がある人なら、友人だろうと、人生のパートナーだろうと、凶方下での出会いだろうと関係は続いていくはず。

それが途中で途絶えたり拗れたり、努力しても関係がうまく進んでいかないのなら残念ながらそれまでの縁だったと解するしかありません。

本当におもしろいくらい、出会いは自分のレベルにあった相応の出会いが生じます。

若いから出会いの数はあっても、その中に本物の出会いがあるとは限りませんし、
中年・高齢であっても、運がある人は自分に相応しいパートナーを得て人生を充実させています。

出会いの運が悪すぎて、出会う人がことごとくダメな人とか問題を含んだ人という場合は、残念ながらご本人の運がそこまでしかないから、そのような苦労の多い縁しか生じないのです。
逆に言えば、運を改善したら出会いの運も良くなる!ということですよ!

ただ、そこで難しいのが、簡単に楽をして出会いの運を良くすることはできないという事実です。

運を改善する、運の流れを変える、とサラッと言っていますが、実際は掌を返したように短期間で改運できるわけではありませんから時間も根気も必要です。
中途半端の願望ではなく、本気で運を変えよう!変えたい!と思える方でないとハードルは高いかもしれませんね。

〇〇をしたら即開運!なんて魔法はこの世の中には決して存在しませんが、そういった類のものに人々が飛びつきたい心理も納得です。だって、楽して簡単に人生が好転するなら、そんな嬉しいことはありませんもんね。そんなものが存在するなら、私だって飛びつきます!

でも、運の実態はそうではない。

だからこそ、良い運をじっくり育てるためにも開運の種蒔きは先送りにしないことが大切です。
早く開運の種蒔きをしたらそれだけ早く人生の流れが変わり、巡り会える人、即ち出会い運も変わってきますから。

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